「うちの子、何もしてないのにたたかれたって言うんですケド。」
Aちゃんのお母さんが、キッとした表情で訴えてきました。
確かにたたかれた事実はありました…。
BくんとCくんが、ノコギリの使う順番でもめていました。
B「おれが先使う!」
C「いーや!おれが先に持ったんやし!」
長くもめだすと、言葉じゃ伝わらないし、結論もだせません。
そのうち手がでます。押し合いへしあい…。
そこにAちゃん登場。
A「わたし、ノコギリ使いたい!」
Aちゃんも、その場にいたのですが、全く周りを見ていないというか、自分のペースでのみ動いています。
ノコギリしか見えてません。
ふらっとBくんCくんの間を通って、ノコギリを手にとりました。
B&C「なんでやねん!」
ダブルライダーキックばりの息ぴったりのつきとばしを、Aちゃんにぶちかましました。
Aちゃん、大泣き。
A「なんにもしてないのに、Bくんが〜。」(Cくんは見えてない)
ちゃんちゃん。
ほんの一例ですが、放課後自然教室ではこんなこと日常茶飯事です。
10分に1回くらい、こんなことの繰り返しです。
これ、誰が悪いですか?
被害者、加害者、分けることできますか?
問題は、そこじゃないんです。
というか、何も問題ありません。
子どもたちは、こうした関わりを通して人間関係のとり方を学んでいます。
あえていいますが、この程度の「暴力」は大事です。
子どもの年令から考えて、言葉で解決とか、気持ちを言葉でとか、まだできるレベルじゃないんです。
でも、がまんする気持ちとか、いろんな葛藤を子どもなりに処理した結果、手がでます。
悪意のある暴力じゃないんです。
気持ちのぶつけ方が分からないから手が出てるだけです。
それしか方法がないんです。
小さいうちに、これをしてなくて、変にがまんしたり、ねじ曲がった方向に気持ちを発散するようになってから大人になる方が、その子の将来が怖くないですか?
例えばAちゃんにとって「周りを見るようにしようね。」と言葉で伝えても、きっと何も理解できないと思いますが、この出来事があったからこそ少しは「気づき」に近づけていると思いませんか?
私たち大人の仕事は何か?
そこで傷ついた子の気持ちのケアです。
「痛かったん、いややったね。」
「ケンカして、いやな気持ちになったんやね。」
と、今、その時のその子の気持ちに寄り添うこと だけ です。(ケガの手当もしますが)
そうすると、たいてい「うん。」と落ち着いて、すぐに走ってあそびに行きます。
親にとって「うちの子は悪くない」のは、当たり前です。
それでいいのです。
家に帰った子どもたちは言うでしょう。
「ぼくは何もしてないのに、○○くんが…。」
上記のように、それは事実です。
でもそこで大人の役割は、そこでその○○くんに罰を与えるべく、大人を巻き込んで問題にしたてあげることではなく。
今、辛い気持ちを話そうとしている我が子の「気持ち」を受けとめてあげるだけです。
そうやっておうちで、お父さんお母さんに受けとめてもらうことで、勇気を取り戻して、子どもたちは強くなっていくんだと思います。
あえて問題があるとすれば、それは保護者の方々と私たち指導員との信頼関係です。
それは、これから作っていきたいと思います。