茶道をはじめてみる
「成田くんも金沢で事業しとるなら、お茶ぐらいやっとかんと…。」
とあるビジネス交流会で知り合った先輩方と吞んでいる際、そんな風に言われたのがきかっけでした。
父親が京都の友禅染の職人だったことや、京都らしく小学校と高校はお寺の中にある学校に通っていたりと、着物や日本文化がなんとなく身近なことも影響している気がしますが、素直に「お茶」に興味が持てました。
その後、
「厳しい先生か、ビジネス向きな先生か、美人の先生か選べ。」
と言われて、「美人の先生」を選んだのは言うまでもありません笑
そうして茶道を始めるに至ったのですが、もう4年ほど経ちます。
結構経ったなと思うものの、非常に奥が深く、まだまだ学ぶべき部分が多いのです。
いろいろと感じ入る所も多く、特に「自然」に対して非常に真剣に向き合った「道」だったことが分かってきました。
茶道に感じる「自然」との向き合い方
戦国時代、いつ戦で死んでもおかしくない毎日をすごしていた武将たちが、
小さいけれどこだわった建築様式で建てた「茶室」で、
掛け軸にその季節の思いを載せて、
その時に咲く野の花を生けて、
客をもてなし共にお茶を点てて飲む。
いったいどう言う世界観なんだろうと、とても不思議に思いました。
日本には四季があるだけでも、季節感のある素敵な国なんだというイメージでしたが、お茶の世界ではさらに24もの季節に分けて、その都度、お湯の沸かし方を変えたり、部屋のしつらえを変えたり、そのたびに作法が変わったり、その季節にちなんだ名前がついた道具を使ったりと、非常に細やかに季節を感じさせる工夫がされています。
なんでそんな面倒くさいことを!と思わなくもないですが、それくらい「今」の「自然」を感じるために全力で工夫したのだと思うと、すごいことだと感じます。
「毎年見られると思っているかもしれないが、死ぬまでの年を数えれば、この桜もあと何回見られるか分からない。だから今、この瞬間の桜を楽しむ。」
そういう感じのセリフが茶道漫画「へうげもの」に出てくるのですが(ごめんなさいうろ覚え)、そういう心意気が、茶道は随所に感じられます。
実際、お茶をはじめてからとういうもの、以前よりも、野草の花の時期に敏感になったり、鳥の鳴き声や旬の食べ物、その時期毎の儀式やお祭りなどにも関心が持てるようになり、感謝とか感動とか、そんな感覚まで芽生えはじめました。
子どもたちの自然あそびと茶道
子どもたちの自然の中での「おままごと」を見ていると、茶道に通じるものを感じることがあります。
見つけたタンポポを摘んできて、ひろった竹の端材に活けてみたり。
粘土でお椀を作って、葉っぱのお皿に、どんぐりや木の実をのせて、彩りも考えて飾っていたり。
子どもたちは、身近な自然で季節や自然の恵みを体感しているのです。
こんな風情のある、大切な「あそび」は他にありません。
子どもたちは、野原でおままごとをどんどんやるべきだと思います。
このおままごとを、大人が究極にまで突き詰めると「茶道」になるのではないかと思います。(怒られそうですが笑)
そして泥団子。
子どもたち大好きな「あそび」の一つです。
ピカピカになるまで磨くのは、もはや職人芸です。
一所懸命に泥団子を磨いている子どもたちの目は、真剣でとても集中しているのが分かります。
土で作ると言えば、茶碗も土から作ります。
ただ、お茶を入れるだけの器なら、形や色にこだわる必要なんかありません。
しかし、茶道の器は、持ちやすい大きさやきれいな色、温かみのある形や面白い柄や絵付けなど、こだわったものが多いです。
名のある作家さんの作ったものや、歴史のある器は、見ていて感動します。
値段も何百万、何千万なんてものもあるくらいですから。
泥団子をピカピカにする心の源泉と、美しく温かみがある人を感動させる器を作る心の源泉は似ていると思いのです。
合理的ではなかったり、必要ではないけれど、心を温めてくれるもの。
今、この瞬間を感じさせてくれる自然。
そんなことを身体で感じる時間を、昔から人は大切にしてきたのだと思います。
ガイア自然学校で大切にしている「今、ここ」に気持ちを置くことや「自然を楽しむこと」。
同じ事を、昔の人もとても大切に想い、それらを具体化する方法として「茶道」を編み出したのではないかと思います。
人をもてなす、向かいあう
そして、茶室では「客」を「もてなす」ことを目的とするのですが、シンプルな方法ではあるが簡単ではありません。
ただ豪華な食事を出したり、チヤホヤもてなすのではないのです。
純粋に人と人が向き合えるように、余計なものをできるだけ排除してシンプルな環境をつくり、その場をその人と向き合って楽しむことに集中できる場を作っています。
これもすごい工夫の「方向性」だなと思っています。
織田信長や豊臣秀吉は、茶室にこだわり、茶室で政治を動かしてきた記録があります。
この作法で真剣に重要な人物と向き合うことで、大きな偉業を成し遂げてきたのではないかと想像すると鳥肌がたちます。
「茶室」は「自然」を凝縮して、「今、この瞬間」を切り取った空間のようなものです。
だからこそ、腹を割って話しをしたり、今に集中した真剣なやり取りができたのではないでしょうか。
こうやって日本は昔から、自然と向き合い、自然を通じて今を感じ、自然を使って人と向き合ってきたのです。
この「自然感」は大切にしたいと思っています。
自然の中で、子どもたちと向き合うと、子どもたちの本質的な「やさしさ」が見られたり、本心的な「悩み」が見えたりします。
子どもだけでなく、大人もそうですね。
キャンプリーダーたちも、自然の中で向き合うことで「心」をオープンにできている部分があると思っています。
そこにアプローチすることで、人の成長の手助けをすることが、自然学校の大切な役割だと思っています。