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Column

ぴっからコラム

子どもたちは言うこと聞かない

ルールの唱和の意味がない

支「はい、【道路ははしらない】ー。」

子『どうろは、はしらなーい!』

支「はい、【石はなげない】!」

子『いしは、なげなーい!』

支「はい、…。」

放課後自然教室の夏休み。
朝8時すぎから夜8時まで、子どもたちが滞在します。
長期休み期間、かなり自由にあそべる「放課後自然教室」でも、長時間預かられていると子どもたちにもストレスがあるのか「いたずら」の発生率がぐんと上がります。

前述の「唱和」は、長い間このエリアで放課後児童クラブをやっていると発生する近隣とのトラブルから、やらざるをえなくなった「ルール」を子どもたちに認識してもらうためにやってます。

「道路は走らない」は、ガイア自然学校の周りは生活道路とはいえ、車は走ってきます。そのため、何度かひかれそうになった子どもたちの存在やドライバーと近隣住民の苦情から、とにかく「道路」では走らないでおこうと取り決めたルールです。
すぐ隣には森やスタジアムがあって、そこは自由に走れます。

なので、この「唱和」を夏休みは「毎日」お昼休みにやってました。

しかし…。

お昼ご飯が終わって、外に飛び出したとたんに、道路を走っていく子どもたち…。

毎日、毎日、口をすっぱくして、走っている子どもを見つけたらその都度伝えています。

しかし「走る」子どもたち。

たまに捕まえて「なんで走るの?」って聞きます。

「ごめんなさい…。」

走ってはいけないことは分かっているようです。

でも「走っちゃう」。

なんで走ってはいけないか?はもちろん、説明してそれも毎日伝えてます。
まだ、車にひかれた子はいないけれど、ヒヤッとすることはあります。
それは子どもたちにも伝わっている様子。

でも「走っちゃう」。

「道路を走るな」だけでなく「石をなげるな」も同じく。

投石で隣の施設のガラスを盛大に割ったり。
車にあてて弁償したり。
こちらは実被害がたくさん出ていて、ケガもしてたりするので、明らかに「やっちゃいけない」感があります。

でも、毎日、どこかで「石を投げて」そして怒られてます。(ぴっからに)

そしてこれらは夏休みだけでなく、平日も毎日発生しています。

「全員じゃないでしょ。」って言われますが。
私たち支援員から見ていると、確かに常習犯的な子はたくさんいますが、「あれ?この子も?」ってなる事も多いので、結果ほぼ「全員」と言って良いくらい「やっちゃう」子は該当すると思っています。

「うちの子に限って…」っていうのは、本当に毎度思いますけど「そんなことありません」。

環境を改善する?

では、どうすれば良いのか?

道路を走っちゃうのが問題なら、もう外に出さなければいい。
道路のない環境に引っ越せばいい。

どうでしょうか?

全部コンクリートにして、石をなくせばいい。
石のない施設に引っ越せばいい。

どうでしょうか?

たしかに、もっと素敵な環境に引っ越すことでそもそも問題の根源がなくなるのならば、悩む必要もありません。

しかし「問題」はどこにあるのか?
環境でしょうか?

これから子どもたちが大人になるにあたって、いろんな環境で生きていくハズです。
その都度、子どもが「問題」を起こさない環境に整えていくことがその子の「幸せ」に繋がりますか?

まあ、ならないですよね。「世間知らず」の子ども大人を造ってしまうだけです。

また「危険」に対する意識が減ります。
道路を走ることで発生する危険。
石を投げることで発生する危険。
それらを知ることなく過ごしていくことは、その子の人生の「危険予知能力」を下げていくようなものです。

子どもを矯正する?

もっとルールを厳しくして、厳罰を与えればいい。
支援員をもっと怖い人にして、鬼教官みたいに。

なるほど、軍隊形式でやっているのもいいかもしれません。

息子が自衛隊にいたのですが、そこの生活を聞いていると面白かったです。
1分でも集合時間に遅刻すると「遅刻!」で腕立て100回。
集合時にシャツが出てたりすると「着衣に乱れ!」で腕立て100回。
朝の集合時に目が死んでいると「目の輝き不十分」で腕立て100回。
しかも班生活で集団責任だったそうです。
おかげでムキムキにはなってますが笑

脱線しましたが。

まあ、子どもたちには、今の時代許されませんよね。虐待って言われます。訴えられます。
日本じゃ許されるの自衛隊か体育会系の部活くらいでしょうか。それも今は問題扱いされつつありますね。

そして、ルールを厳しくすればするほど、子どもたちは抜け道を探します。
そうすると見えないところで発生する「いじめ」や悪質ないたずらが増えるだけでしょう。

なにより、子どもたちの「主体性」は失われます。

「大人にしたがっていればいい」生活になると、子どもたちは目の輝きは失うし、自分から考えたり行動することも少なくなってしまうでしょう。
それは、ガイア自然学校の教育方針には合わない方法です。

問題は問題ではない

問題はどこにあるのか?
実は問題はどこにもありません。

広い道路が目の前にあって、早く森まで行きたい!

そりゃ走るよね。

石投げてみたらすごい勢いで飛んでいってバコーン!って音がして、楽しい!

そりゃ投げちゃう。

「問題」は「問題が発生した時」のみに発生します。
何言ってんだ?って感じですが。
大人の心配と未来への不安が「問題」を生みだしているだけです。
現実にはまだ問題が起こっていない。

道路を走って車にひかれたら「問題」です。
解決しましょう。話し合って、保険も効かせて。

石を投げて、人に当たってケガをさせたり、ガラスを割ってしまったら「問題」です。
解決しましょう。謝罪して。弁償して。

「問題が起こる前になんとかしろ!」って言われるでしょう。

なんとかしてます、子どもたちにルールを課して、唱和までして。毎日毎日「ダメだよ」って伝えて。

あくまで大人側の「こんな子どもであって欲しい」の理想像が、「言うこと聞く子ども」なんです。
なので、その理想から離れていくので、大人は問題に感じます。

しかし、前述の通り実際の「問題」は発生していなければ「今ここ」を生きてる子どもたちにとっては「ない」ことです。
「ない」ことを気をつけろって言われても「何が?」って心の底では思ってます。
だから大人の「言うこと」が、心の底には伝わってない。
だから「頭ではわかっている」けどやっちゃう。

「道路走ると車にひかれそうになるから、心配。」

「石を投げると人に当たったり、ガラスが割れたら大変だから心配。」

そうした大人の「気持ち」をちゃんと伝えるだけです。
子どもたちの行動は「改善」されないかもしれない、でもそれは「問題」ではありません。

「心配だよ」って話しあうこと。
気持ちを伝え合うこと。

それだけで子どもたちは、のびのび育ちます。
支援員は忍耐が必要ですが、がんばります。

ぴっからはいつも怒鳴ってますが、心の底ではこう思いながら大きい声でないと伝わらない時に怒鳴ってます。
ご了承ください笑

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